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2008年4月28日 (月)

後藤文夫

刊行されてすぐに恵送してもらっていたが、読む機会がなかった。改めて読んでみた。詳しくはトラックバック先に。この分野の専門家ではないので、単なる部分的な感想を連ねてみる。全体を評することはできない。

中村宗悦『評伝 後藤文夫』日本経済評論社 2008。

「官僚自身がほんとうの国家の公正な責任者」(37)。これが後藤の自負。しかしこの公正さはどのように担保されるのか。チェック機構(例えば投票)をどのように後藤が考えていたのか。

関東大震災での尽力(45)が示唆的。情報の一本化と非常大権によって、自らの理想が実現できたか。

修養主義(59)。よくわからない。この言葉自体は精神鍛錬によって高い人格を形成することであろうから、大衆的なエートスというよりもむしろエリートによる教養主義を補完するものではないか。後藤ならではの言い方なのか。この人格陶冶はJSミルやアリストテレスに似ている。ある種の共和主義。こうした西洋思想から影響を受けた形跡はあるか。

人格修養(62)。個人の人格統制とは自分自身によるという意味? 次の段階でその統制された人格(の集合体を上から別人が?)が複雑な文明も統制する? この二重構造が後藤の鍵。121も。とするとエリート対大衆の関係がどのようになっていたか、やはり判然としない。複雑な問題とは、専門家を必要とする経済問題か。とすると大衆はどの問題に関われるのか。

国策顧問機関(184)。これが一番「経済参謀」economic general staffに似ている。詳細は私の論文「戦間期日本の経済参謀論」(http://ci.nii.ac.jp/naid/110005859217/から全文ダウンロード可能)に。この機関に学者などの専門家は入っていたのか。

「これができれば日米開戦はさけられる」(204)。後藤の開戦に対する意見は他には。なぜそのような判断になったのか。資料から裏付けられるか。このことと戦犯の関係は。

「直接に政治責任を負わせないための巧妙な仕掛け」(207)。興味深い解釈であるが、とすると後藤は既に敗戦まで見通していたのか。勝利に向いていると、戦争責任まで気が回らないはず。

巣鴨プリズン(211)。A級戦犯ということであるが、なぜ3年で牢屋から出られたのか。その顛末をもう少し詳しく知りたかった。戦争に消極的であったとGHQに認められたからか。岸のようなケースか。

「戦後日本が真の平和国家として」(227)。これは後藤自身の言葉からか。戦後日本の戦略をどう練っていたかの重要な分かれ目。原子力の平和利用の推進(212)とあるが、将来は核武装するという戦略を秘めていた政治家もいたはず。後藤がそうでないならば、どのような世界戦略なのか。軍事をアメリカにまかせて、経済立国でいくべきなのか。農工併存はマルサスと重なる思想。

「過去の中に、もちこたえておるものの中にいつも美しいもの」(227)。「修養が単に過去に考案された徳目に基づくものではない」(62)と矛盾しているように見える。初期と後期で訣別したのか。それとも両方は統一的に理解できるか。結局、人格陶冶の方向性がどこにあるのかという問題。

後藤文夫という官僚・政治家の戦前・戦後を総覧する生き様。その意図(思想)-結果(政策過程)-状況(史実データ)という三重の関係から迫る本。それゆえ経済思想、政策史、経済史という領域から多様なアプローチがかけられている。

大正デモクラシーがどのように統制社会になっていくのか、それを解明したい人も読むべき。「人格の統制から国家社会への統制へ」という副題がそのまま問題意識。しかしこの困難性を後藤がどのように矛盾なく処理しえたのか、謎はむしろ深まる。西洋の思想がどの程度影響したのかも知りたかった(学者の影響力)。評伝という新しい研究手法の可能性を見せてくれた。

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